公開日 2013年02月25日
野原緑さん25歳。
市内の銀行に勤めながら、ボランティアレンジャーとして活躍中。父(52歳)母(50歳)弟(23歳)それに祖母(77歳)の5人家族。お父さんは市内の海洋牧場の技術者、お母さんは市の地域ケアプラザの管理栄養士、弟は、千歳市にあるコンピュータソフトの会社に勤務。自宅から新交通システムを利用して通勤している。祖母は「人間、生涯現役」を口癖として元気な毎日を送っている。
野原さん一家のくらしのひとこまを、緑さんのボランティアレンジャー活動を通して紹介します。
緑さんの主な活動地域は、市街地から8キロほど山側に入った、通称「グリーン・サンクチュアリ(緑の聖域)」と呼ばれる地域。カムイヌプリの裾野から来馬岳の稜線沿いに広がるこの地域は、豊かな森林や清流、多くの個性的な滝それに自然に湧き出る温泉など多彩な自然の宝庫となっています。市民にとってはかけがえのない憩いの場であり、また、自然を学ぶ拠点地域として長い年月を掛けて市民によって守り育てられてきました。
緑さんは、そんな登別の自然が大好きです。そして、この自然を豊かなままで次の世代に引継ぐため、自分にも何かできることがあるのではないかと考え、ボランティアレンジャーの道を選びました。 1年間の研修の後、ボランティアレンジャー協会の検定試験を受け、ボランティアレンジャーとして登録しました。
今年で2年目。まだ、新米のレンジャーですが、今は先輩に教えられながら、主に子供たちの自然環境学習のお手伝いをしています。
(緑さんの野外活動ノート)
今日は、金曜日。
「グリーン・サンクチュアリ」にあるネイチャーセンターでの「子供のための自然講座」最終日。勤め先のボランティア休暇を利用して参加。先月から毎週金曜日8回にわたって開かれていた「ちびっこ川博士養成講座」の最終学習と研究発表会の日だ。この講座は、市内の小中学校の自然科学を専門とする教師が、学習プログラムをつくりそれに沿ってすすめられている。
学校教育が、生涯学習の一環として位置付けられたことによって多様な学習の場と機会が産み出され、子供たちも教師も単に学校のなかだけの学習ではなく、地域の中でともに学び、教えるシステムが定着している。特に、自然環境学習には、最適なシステムだと思う。
私も、お手伝いをしながら、勉強させてもらっていると言う感じ。グリーン・サンクチュアリの入口までは、マイカーを運転して行く。自動車といっても、私のは、二人乗りの小さな電気自動車。今では、ガソリンのような化石燃料を燃やして走る自動車は皆無。ほとんどが、私のようなバッテリー式の電気自動車か太陽電池で走るソーラーカーになっている。自動車だけではなく、家庭や工場でも蓄電技術の発達により、太陽熱、地熱、風力、波力など自然のエネルギーを利用した発電が主流だ。
ネイチャーセンターまでは、歩いて15分。この地域は、基本的に車の乗り入れは禁止。車のための道路整備や橋づくりを控えて自然の姿を残そうといった考えから決定されたことだ。
愛用のリュックに資料やらお弁当を詰めて、自然遊歩道を土の感触を楽しみながら歩く。今日のお弁当は、お母さんが作ってくれた。と言うのも、お母さんは地域ケアプラザの栄養士。来月のデイサービスのために新しいメニューを研究中で、今日はその試作品を私にモニターさせようと言う訳である。お母さんは、自信作と言っていたけどちょっと楽しみ。
遊歩道を歩いていると、どこからともなく吹いてくる風に、森のざわめきが聞こえる。カッコウや山バトの鳴き声にまじって、クマゲラの木を打つ軽快なドラミング(クマゲラがこつこつと木に穴をあける音)。オオルリのつがいが、ルリ色の翼を翻して私の上を飛んで行った。
ネイチャーセンターまでの遊歩道沿いの森は、自然博物館になっている。森の木にはそれぞれ樹名板が設置され、山野草の紹介板がさりげなく置かれている。森の中ほどには野鳥の観察広場があり、鳥の生活を乱さないように配慮された野鳥テラスが設けられ、ここに棲む野鳥の生態がわかる手づくりの野鳥図鑑が置かれている。
これらのものは、ほとんどが野鳥の会や山野草の会あるいは登別樹医の会などボランティアの手によるものだ。登別では、自然を愛し、学ぶためのグループがたくさんあって、それぞれがネットワークし、情報交換しながら総合的に自然環境を保全する活動をしている。
今、昆虫の会の人たちが「登別の森-虫たちの生活誌」作成のために調査をしている。私のおばあちゃんも、山野草の会に入って、植物の観察をしている。この間も、野性のホップを見つけたよと嬉しそうにしていた。
センターについてみると、樹医の木下さんと自然学芸員の森野さんが何やら難しい顔をして相談していた。自然学芸員の森野さんは、センターに勤務する市の職員。正規のレンジャーだ。自然のことならこの人に聞けばなんでもわかるといった日本でも有名なナチュラリスト(博物学者)、私の先生でもある。
樹医の木下さんは、長年森林管理にたずさわっている人で、国の樹医資格をもっている。森野さんによると、なんでも、野鳥テラスの近くにある古い巨木が、この間の大風の時の枝が折れ、だいぶ弱ってきて、枯れるおそれがあると言うことだ。
私は、びっくりしてつい大きな声を出してしまった。ええっ、あの木は、みんなで「森の精」と呼んでいる木ですよ。何年も何年も、それこそ私たちが生まれるずっと以前から登別の自然をじっと見守ってくれていて、言わば登別の自然の象徴といってもいい木ですよ。何とか助けられないのですか。興奮してしゃべる私をたしなめるような笑顔で、森野さんは、だから、いま、樹医の木下さんに相談しているんだよ。隣に立っている若い樹木とのバイパスの可能性など、何とか助けるための方法をもう少し検討してみないとね。
それを聞いて、恥かしいやら、安心やら、いつものそそっかしさを少し反省した。まだ相談をしている二人を残して事務所を出る。そろそろ講座に参加している子供たちが集合する時間だ。場所は、センターの裏手を流れる川のほとりの親水広場。親水広場といっても別に手を加えて整備した場所ではない。河畔林のはしっこにある広場に木の切り株が椅子がわりに置かれている場所だ。
午前中は、そこで「ふるさとの川を育てる会」のリーダーの大川さんから川の話を聞くことになっている。大川さんもボランティアレンジャーの一人だ。ただ、私と違って経験豊富な大ベテラン。特に川についての知識は、森野さんも一目置くほどだ。それに市内の川なら知らないところはない。春夏秋冬、すべての川の上流から下流まで歩きつくしている生き字引。
大川さんによると、登別では、50年位前から川に魚を呼び戻そうという活動が展開されていて、当初は、稚魚を放流したり、魚の発眼卵を河床に埋設したりしながらすこしづつ魚を増やし、また、川の中の砂防ダムに魚道をつけて魚が産卵のために遡上できるようにしたり、地道な取り組みが続けられたそうだ。
また、釣りによる魚の減少を防ぐために、川によっては当たり前のことになっている「釣ったら放す」キャッチアンドリリース運動を提唱したそうだ。そんな努力があって、今のこの豊かな川が蘇ったのかと思うと頭の下がる思いがする。
そうそう、キャッチアンドリリースと言えばこの間、うちの銀行の支店長が、転勤してきたばかりの時、川釣りを楽しもうと釣りに行ってキャッチアンドリリースのことを知らずについ魚を釣り上げてしまって、ペナルティ(反則金)を取られたそうだ。ペナルティといっても、稚魚100尾分を「魚基金」に寄付させられたと言うことだ。登別ではこのほかにもユニークなペナルティがある。
この前、お父さんは「うっかり庭木を折ってしまって、苗木一本分を緑の基金に寄付させられた」と言っていた。自分の庭木でも、まちの景観を担う場合にはペナルティの対象になるという考え方だ。ただ、この制度は、市の条例で罰則として決まっているのではなく、まちを美しくしようという市民の申し合せによってすすめられていることで、まちづくり意識の普及やモラルの高まりを狙いとしてすすめられているそうだ。
このほかにも、ゴミの始末を忘れてしまったときや、禁煙の場所でタバコを吸ってしまったときなどは、自主的に公園の清掃ボランティアなどに参加する仕組みがあるそうだ。
登別では、市民の柔らかい発想がまちづくりに生かされていると思う。